あべろぐぷらす

元SEが半農半Xな暮らしを目指して頑張る様子を福島から発信するブログ

汐街コナさんの『死ぬ辞め』を読んで、ぼくがうつになるまで仕事を辞められなかった理由について考えてみた。(前編)

こんにちは、あべし(@honjituno)です。少し前に読んだ汐街コナさんの『死ぬ辞め』。もう少し掘り下げたブログを書いてみますと宣言していたので、今日はそのお話を書きたいと思います。

「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)

「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)

 

 ※以前のブログはこちら↓ 

abeshi-syokupan.hatenablog.com

汐街コナさんの『死ぬ辞め』を読んで、ぼくがうつになるまで仕事を辞められなかった理由について考えてみた。(前編)

この本を読んでいると、どうしても自分のことと照らし合わせながら、考えてしまいます。『自分の場合はこうだったな。』とか、逆に『へぇー。こんなこともあるのか。。。』とか。色々と思うことが多かったです。

 

そんなわけで、ぼくは会社に行けなくなり、心療内科へ行ってうつだと診断された頃について、少し振り返ってみようと思いました。テーマは、『ぼくがうつになるまで仕事を辞められなかった理由』についてです。

 

理由はいくつかありますが、つきつめて、つきつめて、この二つかなと思うところを書いていこうと思います。

立ち止まったらもう二度と戻ってこれないと思っていた 

苦労して手に入れたと思うから、絶対に手放したくないと思うのは当たり前。立ち止まってしまったら、もう二度と同じ場所には戻ってこれないと思っていました。

 

ぼくを含めみなさんそうなのですが、会社に就職して働くまで、そして働いてからも、苦労して、努力して、『その人が積み上げてきたこと』があります。

 

ぼくがこれまで積み上げてきたなという意識があるのは、やはり大学の頃からです。大学の時に就職するかどうかで悩んで、難しいかもしれないけど、環境問題(※地球温暖化)の研究がしたいと思い、大学院に行こうと決心し、無事第一志望の国立大学の大学院に合格することができました。

 

就職活動していた頃は、就職氷河期真っ最中でした。大学4年の頃にリーマンショックが起き、それから2年たっているとはいえ、世の中的にはまだまだ厳しい状況。なかなかリクルートスーツを脱ぐことができず、研究も進まず、大学の同期が面接解禁の4月そうそうに内定を決めていく中、結局夏頃まで続きました。

 

就職する直前の3月、東日本大震災が発生し、世の中がまだざわざわしている中、社会人になりました。3ヶ月の新人研修の後、大手電機メーカーの出向社員として働くことになりました。国立大学院卒という学歴、海外での学会発表の経験、TOEIC高得点など、履歴書的に見栄えが良かったからかもしれません。(人生のピーク感がすごかったです 笑。)

 

誰もが知っている会社の正社員として働くことができる!というまさかの展開に、少し浮かれていました。でも、とても嬉しかったです。今まで色々心配かけてきた人たちに、これで安心してもらえると思いました。もちろんこの時点では、その後の壮絶な労働状況で体調を崩してしまうとは思っていません。

 

でも、一度立ち止まったら、こんな感じでずーっと積み上げてきたものを、自分自身で崩してしまうことになります。今まで27年かけて積み上げてきたものが全部なくなってしまうと思っていました。それだけは絶対嫌だと思いました。

 

病院に行く前の時期は、勤務状況が本当にボロボロでした。午前休、午前休からの全休、午前休。平日出れなかった分を休日出勤にしてもらいながらの、出勤できず 笑。誰が見ても普通に出勤できなくなっているのに、それでも休む、病院にいくといった選択肢を考えることができず、とにかくしがみついている状況でした。。。

 

すみません。『つきつめて二つです!』と書いておきながら、書いているうちに長文エントリになってしまいました。ですので、唐突に前後編にしてしまいますね 笑!というわけで今日の前編はここらへんで終わります。

 

こんなブログを運営していますが、今日みたいな話題を書くのは、結構エネルギー使います。『よしっ!書くぞ!!』と気合を入れないと、なかなか踏み切れませんでした。後編は明日更新できるかもしれないし、後日になってしまうかもしれませんが、必ず書こうと思っていますので、後編もぜひ!ここまで読んで下さりありがとうございました!それではー!