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あべろぐぷらす

元SEが半農半Xな暮らしを目指して頑張る様子を福島から発信するブログ

【東日本大震災】震災当日、福島で何があったのか?(2011.3.11@福島)

思ったこと

本日で東日本大震災が発生して3年が経ちました。本日は、震災についての記事を書きたいと思います。

震災当日の福島で何があったのか?(2011.3.11@福島)

実は私(あべし)は、あの日福島被災しました。当時遠距離だった彼女に会うために、福島へと向かったのでした。そこで大震災が発生。被災しました。

これはただ事ではないと思い、持っていた手帳に記録を残しておきました。今日は、被災当時、私が見た福島の様子を書き記しておきたいと思います。

以下、手帳に書かれている原文です。公開可能な固有名称はなるべくそのまま書きますね。

3月11日(金)福島市内たちばな高校体育館内にて

福島旅行1日目。9時に起きる予定が10時30分。地元でお土産を買って、銀行でお金をおろして電車に飛び乗る。

12:02 大宮駅着。12:34発のつばさの指定席券を買い、新幹線に乗車。

13:47 福島駅着。彼女と合流し、宿泊予定のホテルへ向かう。

14時過ぎ、ホテル着。1230号室にチェックイン。

地震発生。テレビに地震予知速報流れる。ケータイのバイブを感じる。

今までに感じたことのない揺れ。テレビが棚から落ちる。壁の絵も半分ずれている。バスルームから何かが落ちる音。

何分揺れたか分からない。揺れがおさまりかけたとき、荷物を持って非常階段へ。12階から1階へ一気に駆け下りた。

途中真っ暗になって先に進めず、近くにあった扉も開かないため手探りで下りていく。扉の鍵を開けて何とか脱出。

ホテルの近くにあった広場へ避難。

余震が何度も続く。ガラスが落ちる音。信号も消えている。近くのお店の人が、手信号で交通整理をしていた。

一時間か二時間たったところで、ホテルに戻る。ロビーで待機していた従業員を見つける。

携帯は繋がらない。充電し忘れていたことを後悔。広場にトイレがあったので利用。

公衆電話から父の携帯と自宅に連絡。

ホテルに戻り、次の避難場所の指示を受け、移動。福島第四小学校着。夜も近く、体育館内がどんどん暗くなる。

途中、テレビ中継のおかげで何回か明るくなるが、またいなくなってしまう。

後ろの人がお酒を飲んでいる。

近くの高校の電気がついているので移動。県立たちばな高校着。体育館が小学校のものより広く、電気もついているので安心。

途中からヒーターも投入。ソフトパン、炊き出しの支給。

ようやく自分達が被災していると実感。

周囲の人たちと会話。セブンイレブンに2回目の電話。家族全員無事。彼女の家族と連絡がとれず。

コンビニで買い物。パン、おにぎりなどは全くない。おかしと、ウィダーインゼリーを買って戻る。

戻ってまもなく、断水の連絡あり。トイレに行っておく。ホテルの人が毛布をもう一枚持ってきてくれたので、6人で1枚から3人で1枚になる。

夜だけど、学校関係者や、市職員達が必死に働いていた。何も出来ない自分にショックを受けた。

午前1時ぐらいに横になる。30分おきに目を覚ます。

その後のこと

当時はブログなんてやっていなかったので、まさかこの記録を公開するなんて考えてはいませんでした。

2日目以降の記録はありませんでした。このあとは、ホテルの方々に連れられて、別のホテルへと移動しました。その後に彼女のお家と連絡を取ることが出来、彼女のお家にお世話になることになります。

新幹線が動かないので、数日間お世話になりました。最終的には震災発生から5日目の朝(福島原子力発電所の建屋が水蒸気爆発を起こしたというニュースがありました)に、彼女のお父さんに車で白河駅まで送ってもらいました。

そこからは、白河駅まで来ていた父の車で実家へと帰ったのでした。

福島で被災し、多くの人達に助けられました。高校の体育館では、運動部で家に帰れない高校生達が必死に炊き出しの手伝いをしていました。後ろに座っていた子連れのお母さんが、液体ジェルのアルコール消毒薬を分けてくれました。

今回当時の記録を公開することで、当時福島で何があったのか、みなさんと共有できたら、少しでも後世に残すことができたらと思います。